ドリームライター愛(1)


 時はルネッサンスの時代。
 ここベニスの港に停泊した帆船の船蔵で、少女剣士が絶体絶命の
危機に陥っていた。
 手足も体も、縄できつく縛り上げられ、天井から吊り下げられて
いる。体が揺れるたび、自分の重みで、縄が食い込んでくる。口に
は猿轡がきつく噛まされ、声を出すことも出来ない。
 周りを取り囲む男たちは、怖い薄ら笑いを浮かべている。目の前
に立つ頭目は、鞭を手に叩き付けながら、距離を詰めてくる。その
頭目が口を開く。
「大人の仕事の邪魔をする悪い子供には、お仕置きをしてやらない
とな」
(なんで、こんなことになっちゃったのよ?!)

 そして、時は現代の日本。どこにでもあるような住宅街の夜。
 その一軒で、母親が娘の部屋を覗いていた。灯りが消えて娘が寝
静まっているのを確かめて、母親は階段を下りていく。
 その足音が消えてからしばらくして、ベッドの中から小さな声。
「もう大丈夫かな」
 むっくりと体を起こしたのは、小学校五年生の藤川愛。ショート
ヘアの、本好きな女の子だった。
 彼女が右手の手のひらを差し出して、
「ティリオ?」
 と小声でささやくと、手のひらの上に、ぽんと姿を現したのは、
翼の生えた白いハムスターだった。そのハムスターが、キンキンし
た声でしゃべりだした。
「待ってました!…ってか、遅いって。もう待ちくたびれて、俺も
寝ちゃうところだったよ!」
 ハムスターに責められて、愛は片手で拝むしぐさをした。
「ごめん!ママの見回りが遅かったから…さ、早く始めよう!ティ
リオ!」
「そっちが遅れといて…まあ、いいけどさ」
 ティリオと呼ばれたハムスターは、すぐに機嫌を直し、歯を見せ
てにっと笑った。

 このティリオは、物語の国「イマジンランド」の住人なのだ。
 先週の夜、ふと目を覚ました愛の前に姿を現したティリオ。最初
は自分がおかしくなったのか、夢の中なのかと驚いた愛だったが、
物語を読んだり、空想することの好きな愛は、目の前のティリオの
存在を割りにすんなりと受け入れることができた。
 ティリオは、ここにやってきた理由を愛に話した。
「俺たちの世界・イマジンランドは、こっちの世界の人間たちが空
想する力で成り立っているんだ。だけど最近、その力が減ってきて
いるんだよ」
「でも、人間は昔よりすごく増えてるよ」
「そうなんだよな…でも逆に、夢の力は減ってるんだ」
「ふうん…なんだか、寂しいね…」
「そこで、愛の出番なんだ!」
「…へ?」
 驚く愛にティリオが説明したのは、イマジンランドが、物語の力
を増やすために始めたある計画だった。
 物語を愛する人間に、新たな物語を作り、自ら体験してもらう事
で、夢の力を生み出してもらう。そのために送り出されたイマジン
ランドの住人の一人、ティリオが選んだのが、愛だったというのだ。
「えっと…物語を体験するって…どうやって?」
「こうやってさ!」
 ティリオが小さな右手を振ると、ポンと言う音と共に、愛の目の
前に古びた革張りのノートが落ちてきた。
「わっ!…これなに?」
「ドリームノートさ。これに愛が物語を書くと、その中に入って、
自分が主人公になって体験できるんだ」
 愛が主人公となって物語を体験し終えることで、夢の力が宝石
「ドリームジュエル」となって現れる。
 それを50個集めると、イマジンランドの中心にある巨大なキャ
ンドルに再び火が灯り、イマジンランドに再び力が戻ってくるのだ。
「やるやる!面白そう!」
「…俺が言うのもなんだけど、もう少し悩んだら?」
 ティリオの突っ込みもかまわず、愛は彼と契約を交わし、「ドリー
ムライター」となった。
 その場で物語を書き始めた愛は、19世紀末のイギリスで、名探
偵の助手となって事件を解決に導いた。そしてこの世界に戻ってき
た時、彼女の前にエメラルド色のドリームジュエルが舞い降りたの
だった。

 光が収まると、潮の香りが鼻をついた。
 目を開くとそこは、夜の倉庫街だった。
 ルネッサンス時代のイタリアはベニスの街…多分。
 多分と言うのは、この世界の元となった愛のイメージが、図書館
で読んだ「ベニスの商人」の挿絵や、歴史図鑑や、漫画だったりす
るので、どのくらい正しいのかは本人もあまり自信がない。
(ま、大体こんなもんだよね)
 愛は自分に言い聞かせた後、自分の姿を確認した。つばの大きな
帽子に羽根を差し、腰にはサーベルを提げた、剣士のいでたち。
「結構格好いいよね、私」
「自分で言うなよ…じゃ、気をつけて始めてくれよ。自分が書いた
からって、失敗する事はありうるんだからな」
「うん、分かってる」
 愛は、桟橋の方へと向かった。

 
 

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