ドリームライター愛(2)


 愛が桟橋に近づくと、風の中に漂う潮の香りが強くなってきた。
 倉庫の向こうから、なにやら物音と話し声が聞こえてくる。愛は
倉庫の影から、そうっと向こうを覗いた。

 そこでは、十人前後の男たちが、一人の指図の下、荷物を帆船に
運び込んでいた。彼らの正体は一体…というのは、物語の作者でも
ある愛には先刻ご承知のこと。それは、ヴェネチアの宝である美術
品を、外国に売り払おうと密輸を企てる男たちだった。

「早く警邏隊に知らせないと…なんてね」
 愛が、自分で書いた台詞を口にして、そこから離れようとした時、
足元に置かれていたロープの束につまずいて、予定通り派手に転ん
だ。
「あいた!」
 これは芝居ではなく、本当に痛かった。
「誰だ!」
 何人もが走ってくる足音。
(さ、ここからアクションシーン!)
 愛は立ち上がり、走って逃げ出した。
 倉庫の角を曲がった途端、前にも数人の男たちが立ち塞がって
いた。彼らは、剣や棍棒を手に、愛の行く手を塞ぐ。すぐに後ろ
からの追っ手も現れ、愛を完全に囲む。
「おいガキ、痛い目に会いたくなけりゃ、おとなしく船まで来い!」
「誰がおとなしくするもんか!」
 愛は剣を抜いた。
「さあ、来なさい!」
「生意気な…やっちまえ!」
 一斉に襲い掛かってくる男たち。だが愛は焦らなかった。この
物語の主人公は、天才的な剣の腕を持っている事になっている
のだ。
 愛の体は、本人が思う以上に軽やかに動き、次々と降りかかって
くる剣や棍棒や拳を交わしながら、男たちの急所に的確な一撃を
加えていった。もちろん、殺すのではなく、剣の柄で首筋を打ったり、
おなかにキックを入れて気絶させたりするのだ。
「ぐっ!」「げはっ!」「ば、馬鹿な…」
 男たちは、次々と倒れていく。

(これで全員を捕まえて、騒ぎを聞きつけた警邏隊に差し出せばク
リアね!)
 そんなことを思いながら、愛が軽やかに男たちを叩きのめして
行った時、足が何かを踏みつけて、思い切り滑ってしまった。今度は
まったくの予定外!
「うわっ!」
 背中から石畳に倒れた愛は、肘や背中を打ってしまった。その
痛みは本物と同じ。思わずしばらく動けなくなってしまう。

「愛!何やってんだ!早く立てよ!」
 近くにいるらしいティリオの声。愛は慌てて起き上がろうとした
が、遅かった。剣を握った右腕が、靴で思い切り踏みつけられて
しまう。
「痛っ!」
 悲鳴を上げる愛の上に、別の男がのしかかって体を押さえ込み、
もう一人が剣を喉元に突きつける。
「このガキ!手間を取らせやがって!おい、縄をもってこい!あっ
ちに落ちてただろ!」
「あったぞ!」
「よし、まず足を縛れ!」
(まずい!)
 愛は初めて本格的に焦った。剣を振るおうにも、踏まれた腕は痺
れて指先も動かない。大人の男にのしかかられて押さえ込まれると、
軽い身のこなしも通用しない。まして喉元に剣を突きつけられて、
出来ることは…。
「ティリオ、ど、どうしよう」
 その声に応え、傍にティリオが現れた。
「どうしようって言われても…」
 この物語の世界では、ティリオは愛以外の誰にも見る事ができない。
その代わり、ティリオも愛と話す以外、この世界では何もする事が
出来ないのだ。
「…自分で何とかしてくれよ、作者で天才剣士なんだろ?」
「そんな…むぐっ!」
 小声でティリオと話していた愛の口に、布が押し込まれた。上に
のしかかっていた男の仕業だった。慌てて首を振って吐き出そうと
するが、口をあけると却って、ぐいぐいと口の中一杯に布を詰めら
れてしまう。
「こいつ、何かごにょごにょと言っていやがった。魔法も使うって
噂だからな。口を塞がないと…おい、吐き出せないように猿轡をしっ
かりとしてくれ!」
「よし!」
 立っていたもう一人が、懐から出した布を引き絞って、愛の顔に
近づけた。
(え、嘘、やめてよ!)
 愛は押し込まれた布の下で悲鳴を上げた。
(それ、汚いじゃない!)
 それより大事なことは他にありそうだが、愛にとっては大問題で
ある。しかしだからと言ってやめてくれる筈もなく、しっかりと口
を塞ぐように猿轡をされてしまった。
「よし、次は手だ。しっかり押えてろ!」
 男たちは寄ってたかって愛の手足を掴み、体をうつぶせにさせ、
両腕を背中にねじり上げた。
「むが!むぐぐえお!(いや!離してよ!)」
 じたばたもがくが、たちまち手首を縄で括り上げられてしまった。
「これでよし、と」
「手間取らせやがって」
 男たちが愛の体から手を離し、立ち上がる。縛られた愛には、荒
く息をつきながら、彼らを見上げる事しか出来ない。もちろん、散々
痛い目に合わされた彼らの表情は険悪そのものだ。
(ま、まずい…)
 このまま、皆から殴られたり、蹴られたり、もっとひどい事になっ
たら…そう思うと、愛の背筋が冷たくなった。あくまでもここは物
語の世界。最悪殺されても、現実の愛には傷一つ付かない。しかし、
そうなればティリオとの契約は切れ、物語の世界に入る事は出来なく
なってしまう。
(やだ…こんな終わり方…やだ!)
 愛は目を堅くつぶった。

 だが、思わぬ助けが入った。密輸団の頭目が、追いついて怒鳴った
のだ。
「おい、今は荷を積むのが先だ!こいつは船蔵にぶち込んでおく!
早く戻れ!」
 男たちは、不満そうだったが、しぶしぶという感じで従う様子を
見せた。

(とりあえず…助かったあ〜)
 ほっと息をついたが、
「なに、お仕置きは後でゆっくりしてやるさ」
 頭目は、愛を軽々と抱き上げると、その体を小脇に抱きかかえ、
船へと歩いていく。
(や、やっぱり大ピンチじゃない!)
 愛は青ざめた。

 
 

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